大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)21496号 判決

原告

田中弘幸

被告

佐々木浩

主文

一  被告は、原告に対し、金一三四八万二九七四円及びこれに対する平成二年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、一〇分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一億三七五五万八五〇二円及びこれに対する平成二年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機による交通整理の行われていない交差点において、自転車と自動車が出会頭に衝突し、自転車が転倒した交通事故について、自転車に乗っていた男性が、自動車の運転者に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法という。)三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げた事実以外は争いがない。)

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 平成二年六月七日午後五時〇五分ころ

(二) 発生場所 東京都板橋区板橋一丁目一一番二号先所在の信号機の設置されていない交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 被告が所有し、かつ、運転していた普通貨物自動車(練馬四〇せ九七一三号)

(四) 被害車両 原告が乗っていた自転車

(五) 事故態様 原告が、自転車に乗って本件交差点を横断していたところ、その右方向から進行してきた加害車両と衝突した。

2  責任原因

被告は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供していたのであるから、自賠法三条により、原告の後記損害を賠償する義務がある。

3  本件事故後の診療経過

原告は、本件事故後、次のとおり通院した(甲六、一〇~一五、二九、三〇、四四、乙三の1・2、四の1・2、五、六、一二の2~4、一三、一六~二〇、原告本人)。

(一) 医療法人社団仁済会豊島中央病院

平成二年六月七日から同年六月一二日(実日数三日)

(二) 財団法人愛世会愛誠病院

平成二年六月一一日から同年七月二七日(実日数一〇日)

(三) 本多治療院

平成二年七月六日から同月三一日(実日数一六日)

(四) 山口病院

平成二年八月六日から平成四年一〇月一四日(合計二二一日)

(五) 岩崎眼科医院

平成二年八月二〇日から同年九月二一日(実日数七日)

(六) 東京都立大塚病院(以下「大塚病院」という。)

平成二年九月二五日

(七) 大木眼科

平成二年九月二五日から平成二年一二月四日(実日数一〇日)

(八) 日本通運健康保険組合東京病院(以下「日通健保東京病院」という。)

平成二年一〇月二三日から平成三年一月八日(実日数三日)

(九) 東京都立広尾病院(以下「広尾病院」という。)

眼科 平成三年四月一〇日から同年五月三一日(症状固定、実日数四日)

脳神経外科 平成三年六月一日から同月一七日(実日数三日)

耳鼻咽喉科 平成三年七月四日から平成五年二月四日(実日数三〇日、ただし、一九日通院した時点である平成四年三月一二日をもって症状固定の診断)

精神科・神経科 平成四年五月二八日から平成六年六月一〇日(実日数三七日、ただし、二七日通院した時点である平成五年一〇月一五日をもって症状固定の診断)

4  後遺障害等の内容及び自賠責保険における等級認定等

(一) 後遺障害の内容

原告が広尾病院において診断を受けた後遺障害の内容は次のとおりである(甲一〇、一一、一四)。

(1) 眼科

右外傷性白内障、右黄斑部変性、右外傷性視神経症により、右眼視力が〇・〇一で矯正不能

(2) 耳鼻咽喉科

外傷性中枢性前庭系障害により、両耳鳴り、難聴、めまいがあり、まっすぐ歩くことができないという平衡機能障害

(3) 神経科

頭部外傷後遺症、外傷性てんかんにより、めまい及び週に一、二回の失立発作の出現

(二) 後遺障害の認定等

原告は、自動車保険料率算定会新宿調査事務所における事前認定において、残存した後遺障害のうち平衡機能障害についてのみ、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一二級一二号に該当する旨の認定を受けた(甲二、乙二〇)。

なお、原告は、この平衡機能障害について、東京都から身体障害程度等級五級に認定され、平成四年三月二日、身体障害者福祉手帳の交付を受けている(甲九)。

5  既払金

原告は、被告から、本件事故に基づく損害賠償として二五一万八六二五円、自賠責保険から一二〇万円の合計三七一万八六二五円の支払を受けた。

二  争点

1  過失相殺の有無及び程度

2  原告に残存した症状の程度及び本件事故との相当因果関係の有無

3  逸失利益を中心とした損害額

第三争点に対する判断

一  過失相殺の有無及び程度

1  事故態様について

(一) 前提となる事実及び証拠(甲三四の1~9、四四[一部]、乙二、一一、三四[一部]、原告本人[一部])によれば、次の事実が認められる。

(1) 事故現場である本件交差点は、南北方向に走る道路(幅員は、本件交差点の南側が幅員六・三メートル、北側が七・六メートル、以下「南北道路」という。)と東西に走る道路(幅員九・一メートル、以下「東西道路」という。)が交差する市街地の交差点である。

本件交差点には信号機は設置されておらず、東西及び北には横断歩道が設置されている。東西道路の南側には遊歩道が設置されており、本件交差点の南西角(ただし、遊歩道のさらに南側)には建物が存在し、南方向及び西方向から進行してくる車両にとって見通しは悪い(ただし、南方向から本件交差点に進入する際、交差点入口付近では、左方八・〇メートルを見通すことはできる。)。

東西道路の本件交差点手前には、オーバーハング式の一時停止標識が設置され、白線が引かれて路面に「とまれ」と表示されている。他方、南北道路には、本件交差点直前に白線が引かれているのみであり、南から進行して来ると、本件交差点の手前はやや高くなっており、なだらかに下って本件交差点に進入することになる。また、南北道路は、毎時三〇キロメートルの速度制限がなされている。

(2) 原告は、自転車に乗って東西道路の左側を進行し、他方、被告は、加害車両を運転して南北道路を進行して、いずれも本件道路に差し掛かった。

原告は、本件交差点手前の一時停止線に従って一時停止し、右方向を確認したが、進行してくる車両はなかった。そこで、本件交差点内で少し左側に進行し、本件交差点北側出口の横断歩道上を進行し始めたところ、右(南)方向から進行してくる加害車両に気づいた。

被告は、本件交差点に進入した直後、本件交差点北側出口に存在する横断歩道上を自転車に乗って西から東に横断している原告を約九・五メートル前方に発見し、急ブレーキをかけたが、この横断歩道の中央付近において、原告の自転車右側に加害車両の前部が衝突した。その結果、原告は、衝突地点から右斜め前方(おおむね北北東の方向)の四・七メートル離れた地点に転倒し、加害車両は、衝突地点から二・四メートル走行して停止した。

(二) この認定事実に対し、被告作成の陳述書(乙三四)には、本件交差点に進入する直前に左方の確認をしたが、車両は存在せず、交差点中央付近まで進行した際に、原告の猛スピードで横断歩道上でなく車道上を走行してきた旨の記載がある。

しかし、被告は、自ら立会った実況見分において、本件交差点に進入後、すでに横断歩道上を進行し始めていた原告を九・五メートル先に発見したと指示説明していること、本件交差点入口付近での左方の見通しが八メートルであること(いずれも乙二)と対比すると、右の陳述書の記載は直ちには採用できない。

他方、原告は、空中にはね飛ばされたと主張し、それに沿うものとして、原告は、空中に浮くような感じがして自転車から身体が離れたと供述したり(原告本人)、原告作成の陳述書(甲四四)にも、身体が宙を浮く感覚と回転する感覚があったとの記載がある。

しかし、被告作成の陳述書(乙三四)には、原告の自転車は、加害車両に押されたような状態で二メートルくらい前進し、加害車両が停車すると同時によろよろと進行して転倒したとの記載があるところ、原告は、空中に浮くような感じがした後の記憶は二週間くらいないと供述し(原告本人)、その二週間という期間はさておくとしても、衝突直後からの記憶がないことからして、右の記憶もどれほど信用できるか疑問がないではないこと、加害車両が自転車に衝突してから停車するまでわずかな距離しか走行していないこと、原告は、事故直後に搬送された豊島中央病院において、自転車に乗っていて軽ワゴンと「接触し転倒した」と説明していること(乙三の3)などの事情に照らすと、被告の陳述書記載の内容がどれほど信用できるか明らかでないこと、転倒状況の表現に多少の差異があることを考慮しても、衝突地点から転倒地点まではね飛ばされたかのような原告本人の供述及び陳述書(甲四四)の記載は、直ちには採用できない。

2  過失相殺に関する裁判所の判断

(一) 1(一)で認定した事実によれば、被告は、本件交差点は見通しが悪いのであるから、左右の通行を十分確認して本件交差点を進行する注意義務があったのに、これを怠り、左右を十分に確認することなく本件交差点に進入し、その後に、すでに横断歩道上を走行し始めていた原告の自転車に初めて気づいた重大な過失がある。他方、原告も、本件交差点は見通しが悪い上に、交差点直前に、一時停止標識が設置されているのであるから、一時停止をして左右の通行を確認するのみならず、その後も、右の通行を十分に確認しながら進行する注意義務が存在するのに、これを怠り、一時停止線付近で見通しの良くない右方を確認したのみで、その後は、横断歩道上を走行し始めて初めて加害車両に気づいた過失がある(特に、自転車は、その走行速度からしても、右方を確認しながら横断すれば、すぐに対応できるにもかかわらず、衝突していることからして、一時停止後は漫然と進行したと考えざるを得ず、自転車で、かつ、一時停止をしたことを考慮しても、元来、一時停止が義務づけられてより注意することが要求されていることからして、この過失は重視せざるを得ない。)。

この過失の内容、本件事故の態様、事故車両が自動車と自転車で、元来有している危険の程度に差異があることなどの事情を考慮すると、原告と被告の過失割合は、原告が三〇パーセント、被告が七〇パーセントとするのが相当である。

(二) これに対し、原告は、被告には、さらに、〈1〉一時停止を怠り、〈2〉相当な速度(制限速度を上回る速度である可能性もある。)を出して本件交差点を走行した過失があると主張する。

しかし、南北道路に一時停止標識は存在しないから、一時停止をしなかったことが直ちに注意義務違反とはならないし、また、被告が制限速度を上回る速度で走行していたと認めるに足りる証拠はないから(そもそも、原告は、加害車両が制限速度を超過した速度で走行した可能性を指摘するにとどまる。)、原告の主張は理由がない。

二  原告に残存した症状の程度及び本件事故との相当因果関係の有無

1  原告の症状及び治療の経過等

(一) 認定事実

前提となる事実、証拠(甲六、七、一〇~一四、二九、三〇、三五、四四[一部]、乙三の1~3、五~七、九、一二の1~4、一三~一九、三〇~三三、三五の1の1・2、三五の2の1・2、三六の1の1・2、三六の2、三七の1~5、三八の1~3、三九の1の1・2、三九の2の1・2、三九の3の1・2、三九の4の1~4、三九の5の1・2、三九の6の1・2、三九の7の1・2、三九の8の1・2、四〇の1の1・2、四〇の2の1~6、四〇の3の1~5、四〇の4の1~3、四〇の5の1~3、四〇の6の1~3、証人安部治彦、同大橋裕一[書面]、同暁清文[書面]、原告本人[一部]、調査嘱託の各結果、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、原告の本件事故後の症状及び治療の経過等について、次の事実が認められる。

(1) 原告(昭和三二年二月一九日生)は、本件事故後、救急車で豊島中央病院へ搬送され、レントゲン検査をしたが異常はなく、右肘、両側膝部、臀部擦過傷の診断を受けた。原告は、この際、医師に対し、自転車に乗っていて軽ワゴンと接触し転倒したと説明し、意識は清明であり、翌日に通院した際にも臀部痛を訴える程度であった。

(2) 原告は、本件事故の翌々日である平成二年六月九日から耳鳴り及び頭重感が出現したとして、同月一一日から愛誠病院外科で診察治療を受けた。愛誠病院での診断は、前額部擦過傷、頭部打撲であった。原告は、初診時、本件事故後二時間は意識が不明であったと説明し、診察時に意識障害はなかった。後頭部も含めて瘤や腫れはなく、頭部打撲も前額部のみであった。

原告には、レントゲン検査及びCT検査ともに異常は見られなかったが、頭痛を訴え続けるので、同月二三日からは愛誠病院の神経内科でも診察を受けた。同年七月一七日には、本件事故後あまり眠れない、左胸が苦しい、不安が強いなどと訴え、医師は、不安神経症の疑いを持った。原告は、同月二七日まで通院したが、明らかな異常所見は認められなかった。

原告は、この間、同月六日から本多治療院にも通院し、マッサージ治療を受けた。通院当初は、ベッドに伏位がすぐできないほどで、頸部、肩部、背部をマッサージしても身体が硬くなるほどに痛かったが、次第に普通にマッサージができる程度になった。本多治療院には、同月三一日まで通院したが、耳鳴り及び頭痛は依然残存していた。

(3) 原告は、平成二年八月六日、めまいが強いので、母親に付き添ってもらい山口病院で診察を受けた。原告は、頭部痛、耳鳴りが持続し、嘔気、胸内苦悶感が時々ある上、歩行のふらつき感が強いと訴えた。また、精神的に不安感や恐怖感が強くイライラするなどとも訴えた。そして、頭部CT検査を行われ、カルテの同年八月八日の欄には、脳浮腫により脳室縮小との記載がある。また、原告は、右眼が充血してコンタクトレンズを使用できないとも訴えるので、山口病院の山口明志医師は、眼科の受診を勧めた。

原告は、山口病院に頻繁に通院し、薬剤投与、理学療法、カウンセリングなどの治療を受けるとともに、同年八月二〇日、岩崎眼科医院で診察を受けた。ところが、岩崎眼科医院の岩崎英医師から右角膜はんこん、角膜変形、外傷性白内障(穿孔性外傷時の直接の鋭傷、飛入異物の穿通や、眼球壁への鈍傷によって生じる水晶体嚢の破損によって生じる。)、既往症として円錐角膜との診断を受け(ただし、岩崎英医師は、同年一〇月の診断では、元来白内障が存在したのか、事故で一層悪化したのか分からないと診断している。)、治療後経過に変化がないときは、手術の必要があるとの説明を受けたため、ショックで寝込んでしまった。なお、山口病院では、不安神経症との診断もした。

(4) 原告は、平成二年九月二五日、岩崎眼科医院の紹介により、大塚病院で診察を受けた。岩崎眼科医院の紹介内容は、原告の問診の結果を前提とするもので、本件事故によりハードコンタクトレンズが飛んでしまって意識不明となり、一日くらいで意識が回復したが、コンタクトレンズを再装用しても視力が戻らないというものであった。原告は、都立大塚病院の問診において、以前は、右が一・二×七・八五-七・〇〇D、左が一・二×七・九五-七・〇〇Dで視力は良好であったと答えた。大塚病院の松島利明医師は、右角膜は断面が台形となって非薄化しているため、ハードコンタクトレンズの落ち着きは良くないが、一度装着させてみることにした。なお、原告の視力は、両眼とも〇・〇一であり、矯正視力は、左が一・二、右が〇・〇二であった。なお、松島医師を引き継いだ頼徳治医師は、白内障が本件事故以前からのものか、事故後に発症したものかは分からないが、円錐角膜は病変であり外傷によっては絶対に生じないとの意見であった。

原告は、大塚病院において、再びコンタクトレンズを装着してみると言われたため、右同日、本件事故により右眼を自分の手で強打したと説明して、大木眼科でも診察を受けた。なお、ここでは、医師に対し、本件事故後二週間ほど意識がなかったと説明している。大木眼科の大木陽太郎医師は、角膜白斑、白内障を認めたが、角膜白斑については外傷の痕かと考えたが、白内障は先天性のものであると思われるとの意見であった。

原告は、同年一〇月二三日に、さらに日通健保東京病院で診察を受けた。ここでは、医師に対し、眼球を打撲したか否かは意識障害があったので不明であるが、手をぶつけた可能性はあると説明した。同病院の清水信晶医師は、急性円錐角膜、眼球打撲、外傷性白内障、近視、角膜白斑、眼精疲労の診断をしたが、円錐角膜は、両眼ともに見られ、先天性障害として発生したものであるとの意見であった。そして、原告の視力は左右ともに〇・〇一で、左は一・〇に矯正できるが、右は〇・〇一で矯正不能であり、この視力低下は円錐角膜が大きな要因となっているとの意見であった。

(5) 原告は、山口病院での通院を続け、平成三年三月には不安感は良化してきていたが、その後も通院を続け、精神・神経の説明を受けるなどした。

原告は、それと同時に、同年四月一〇日から、広尾病院の眼科に通院し、初診時に、本件事故により意識障害が生じたことを説明した。その時点での視力は、右が〇・〇一、左が〇・〇四であり、左は矯正して一・〇であったが、右は〇・〇一で矯正不能であった。そして、同病院の田中富子医師は、同年五月三一日、右外傷性白内障、右黄斑部変性、右外傷性視神経症(一般に、頭部、顔面の外傷により視神経に障害がもたらされることがある。)により、視力低下の後遺障害が残存し、症状が固定した旨の診断をした。

原告は、同年六月に広尾病院の脳神経外科に通院し、同年七月四日からは、耳鳴り、めまいを訴えて同病院の耳鼻咽喉科にも通院を始めた。この初診時には、頭部CT検査及び脳波検査の結果には異常はなかったものの、一定方向性(右)の眼振が認められた。ところが、同月一〇日には、一定方向性の眼振ではなく、正中視と上方視で振子様眼振が認められるようになった。その後も、振子様眼振が認められたが、ふらふら感や耳鳴りは徐々に軽減してきた。また、ロンベルグ検査の結果は陽性であった。その結果、平成四年三月一二日をもって、外傷性中枢性前庭系障害により、両耳鳴り、難聴、めまいがあり、まっすぐ歩くことができないという平衡機能障害が残存して症状が固定した旨の診断を受けた。

その後、平成四年五月二八日からは、不眠、夜眠るのが怖い、現実感がない、急に怒りっぽくなったり、羞恥心がなくなったりするなどと訴え、広尾病院の神経科にも通院するようになった。原告は、この初診時に、医師に対し、本件事故後約二か月間は記憶障害があった旨を説明した。同年七月ころは、まだ、振子様眼振が多発していたが、平成五年二月ころにはかなり減少した。なお、この眼振は、その後、開眼で眼振が抑制されると診断されたり、逆に、開眼時に注視したときに誘発されると診断されたり、必ずしも一定しなかった。原告は、このころ、大発作が一日七回あったと訴えた。また、気が付いたらしゃがんでいる感じで小さな発作も生じるとのことであった。その後、投与されたクロナゼパム(抗けいれん剤、鎮静剤)が有効であったようであり、同年五月には周一回程度の軽い発作が起きる程度になった。そして、同年一〇月一五日をもって、頭部外傷後遺症、外傷性てんかん(〈1〉全身性強直間代性けいれん、〈2〉失立発作)により、めまいが残存し、失立発作が周に一、二回出現するとして、症状固定の診断を受けた。

(6) 原告は、昭和五九年にレインボーコンタクトレンズ池袋相談室で右眼のみのコンタクトレンズを作成しており、その矯正視力は〇・五であった。

(7) 鑑定人大橋裕一は、原告の視力低下の有無とその原因について次のとおり鑑定する。

原告には視力低下は認められる。しかし、本件事故前の最良矯正視力は〇・五であった可能性は十分に考えられる。また、円錐角膜の矯正視力は、その評価に必須なコンタクトレンズ装用なしに単なるレンズ装用によって測定されたものであるから、〇・〇一をそのまま矯正視力として評価することは極めて困難である。したがって、視力低下の程度は断定できない。次に、視力低下の原因として、〈1〉円錐角膜、〈2〉白内障、〈3〉黄斑部変性、〈4〉視神経外傷について検討するに、〈1〉の円錐角膜は高度に変化して急性水腫治療後の角膜所見に酷似しており、これによれば、外傷によって円錐角膜にゆがみが生じ、急性水腫を誘発したと考えることは十分可能である。しかし、そのように考えるには、原告が受傷後二か月を経過して視力低下を訴えていることと、急性水腫による視力低下は遅くとも二か月以内には消失することが障害となる。〈2〉が先天性のものか外傷に起因するものかは判断できないが、本件事故前の矯正視力が〇・五であったこと、外傷性白内障を起こすような高度の眼球打撲であれば通常は見られることが多い外傷性瞳孔散大(瞳孔括約筋の断列)が見あたらないことからすれば、外傷以前から白内障が存在していた可能性が高い。〈3〉については、平成三年四月一〇日及び三〇日に撮影された眼底写真によれば、必ずしも断定的ではないが、高度近視眼で見られる豹紋状眼底を呈していること、同月一〇日においては黄斑部に変性所見は見られないこと、同月三〇日の眼底所見で硝子体混濁が増強しているように見えることが分かる。ただし、硝子体混濁が増強しているように見えることについては、三枚の写真のいずれにおいても、同一場所に混濁が見られるので、眼底カメラなどの汚れに起因している可能性も捨てきれないし、仮に硝子体混濁であるとしても、広尾病院眼科受診以前の眼底所見に異常が見られないことからすると、この変化は広尾病院受診中に本件事故とは無関係に生じたと判断するのが相当である。〈4〉については、広尾病院における平成三年四月一〇日の眼底写真には、本件事故から一〇か月も経過しているのに、高度の損傷が存在するなら現われるはずの視神経萎縮の所見が認められないこと、広尾病院神経科で平成五年六月二八日に行われたVEP検査でも異常所見は認められず、網膜―視神経―視放線―後頭葉皮質にかけての部位に障害は存在しないと考えられること、中心フリッカー値の低下あるいは比較暗点を含む視野中央部の感度低下は角膜病変や白内障などによって説明可能であること(ただし、これが視神経障害による可能性は残されている。)からすると、視神経障害の存在については否定的見解を取らざるをえない。

(8) 鑑定人暁清文は、原告の平衡機能障害について、次のとおり鑑定する。

広尾病院耳鼻咽喉科におけるロンベルグ検査の結果(陽性)からすると、原告には、平衡機能障害が存在するといえる。しかし、足踏み検査での偏倚の程度は正常範囲内であること、視運動性眼振は触発良好で視覚―眼運動系の反射経路に異常はないといえること、外傷によるめまいや平衡機能障害のほとんどが事故から六か月以内に生ずるとされているが、原告に初めて自発眼振が認められたのは、本件事故から約一年後であることからすると、外傷に基づく器質的損傷によるものとはいえない。他方、視運動性眼振に異常がないこと、視覚が眼振を抑制する機能があったりなかったり、一定傾向を示していないこと、本件事故以前に眼振が指摘されていないことからすると、平衡機能障害が先天性のものとは考えがたいし、左眼は矯正視力一・〇から一・二(裸眼〇・〇一)でありコンタクトレンズを装用しているから、右眼に高度視力障害があっても弱視性眼振の可能性もないといえる。これらを踏まえ、一般に精神心裡状態が不安定な場合などは不随意な眼運動が混在することがあること、原告は、山口病院や愛誠病院神経内科で不安神経症あるいはその疑いと診断されていること、主に脳神経外科や精神・神経科領域で使用されている抗けいれん、催眠、鎮静作用のある薬剤であるクロナゼパムの投与によりめまい感が減少し、振子様眼振も減弱していることを総合すると、原告の平衡機能障害は、外傷による器質的障害ではなく、本件事故が誘発した心因反応である可能性が高い。そして、原告に残存した後遺障害の程度は、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一四級に相当する。

(9) 鑑定人榊三郎は、原告に残存したてんかんについて、次のとおり鑑定する。

後遺障害として診断された外傷性てんかんのうち、全身性強直間代性けいれんについては、原告のCT検査やMRI検査の結果に異常所見はなく、脳波検査の結果も正常範囲内であること、一般にけいれんの大発作は意識の消失を伴い、発作の状況は重篤で目撃した周囲の人々は患者を直ちに医療機関に搬送することが多いこと、殊に、一日数回も大発作が起こったのであれば、当然入院治療を受け、抗けいれん剤の投与を受けるとともに、その後は外来通院で脳波検査を受けながら厳重に観察されるはずであるのに、そうした形跡がないことは極めて理解しがたいこと、広尾病院脳神経外科において、頭部CT検査及び脳波検査の結果脳神経学的には異常なしとされた平成三年六月一日時点では、原告のけいれん発作は認められなかった可能性が高いことからすると、そのような大発作がみられたか否か、判断は困難である。次に、失立発作については、先のとおり脳波に異常所見がなく、めまいが小さいなどとの評価があることなどに照らすと、平衡機能障害に関連した発作である可能性も否定できないが、他方、平成四年七月ころより、てんかんの小発作などに有用であるクロナゼパムが増量投与され、めまい等が軽減したことからすると、てんかんの小発作の一型である可能性は否定できない。もっとも、外傷性のてんかんは、画像診断において外傷によると思われる異常が脳に見られることがほとんどであること、けいれん発作を伴う大発作が大部分であり小発作の発生率は低いことからすると、外傷に起因するてんかんである可能性は極めて低い。また、山口病院での、脳実質の浮腫のために脳室の縮小が見られるとの所見はあるが、脳室のサイズがその後のCT、MRIを見ても大きく変わっていないこと、脳回の偏平化や脳溝の消失などの脳浮腫の際に見られるその他の所見も認められないこと、さらに二年、三年後に撮影されたMRIでも外傷によると思われる陳旧性の変化が認められないことからすると、画像診断上は、外傷による頭蓋内の病変は認められない。さらに、頭蓋内圧亢進については、頭蓋内圧を測定したとの記載はないし、補助診断として有用であるCT、MRIにおいても、それを示す所見はないので、それによる持続性の頭痛、吐き気、歩行困難などは考えがたい。したがって、原告の発作がてんかん発作であるか必ずしも明らかでないし、仮に、そうであるとしても、外傷性のてんかんである可能性は極めて低い。

(二) 認定事実に反する主張及び証拠の検討

原告は、本件事故後の身体の状態について、次のとおり主張し、それに沿う証拠(甲四、五、四四、四九、原告本人)も存在する。

本件事故当日の夜は、前額部に傷と打ったような腫れ、後頭部に傷と腫れなど全身にひどい怪我をし、倒れたまま意味不明なことばかり言って聞き取れないような意識状態であった。翌日も意識は朦朧として歩行も相当に困難であり、愛誠病院で治療中も頭痛、耳鳴り、歩行障害等が改善せず、ひどくなる一方であったので、平成二年七月六日から本多医院に通院するようになった。

しかし、この主張に沿う右の各証拠は、原告、その母親、勤務先の関係者といういずれも原告あるいはそれに近い者の供述あるいは陳述書である上、前記認定の豊島中央病院及び愛誠病院での原告の様子及び説明と対比した場合、看過できない相異があるので、直ちには信用できない。

したがって、原告の右主張は理由がない。

その他、原告本人の供述及び原告作成の陳述書(甲四四)のうち、前記の認定に反する部分は、(一)で掲げた関係各証拠に照らして直ちには採用できない。

2  本件事故との相当因果関係の有無及び後遺障害の程度

(一) 視力低下について

(1) 視力低下の有無について

二1(一)で認定した事実によれば、原告の右眼の視力は、昭和五九年当時で矯正視力〇・五であったのであるから、本件事故以前に、すでに右眼の視力低下が生じていたといえる。しかし、大塚病院での右矯正視力(〇・〇二)や、日通健保病院及び広尾病院での矯正不能である旨の診断に照らすと、さらに視力低下が認められることに疑問はない(大橋鑑定も、視力低下の程度に疑問を呈しているが、視力低下自体は否定していない。)。

(2) 視力低下の原因について

この視力低下の原因として、広尾病院の田中富子医師は、〈1〉右外傷性白内障、〈2〉右黄斑部変性、〈3〉右外傷性視神経症を指摘している。

しかし、〈1〉について、原因となる眼球壁の打撲等は認められないし、外傷性であることについて、大橋鑑定が指摘した疑問であるところの、本件事故前にすでに矯正視力が〇・五であったこと、外傷性瞳孔散大が見あたらないことの二点について、これを覆す原告の積極的立証はなく、かえって、大城眼科の大木陽太郎医師も白内障は先天性のものであると思われるとの意見を述べているほどである

もっとも、岩崎眼科医院及び日通健保東京病院も外傷性白内障であるとの診断をしている。しかし、岩崎眼科医院の岩崎英医師は、その後、元来白内障が存在したのか、事故で一層悪化したのか分からないと診断しているし、日通健保東京病院及び広尾病院が外傷性と診断した具体的理由は定かでない(眼に手をぶつけた可能性があるとか、本件事故により意識障害が生じた旨の原告の説明から、眼球を打撲した可能性が高いと推測した可能性がある。)。

したがって、白内障が外傷によるものと認めるには足りない。

また、黄斑部変性や外傷性視神経症は、広尾病院で初めて現われた診断であり、それまでの眼科はいずれもこのような診断はしていない。また、大橋鑑定の黄斑部の変性所見が見られないとの指摘について、これを覆すに足りる積極的立証はない。

もっとも、原告は、前額部に擦過傷ができる程度に頭部を打撲しているから、一般論としては、外傷性視神経症が生じる原因がないではない。また、被告提出の証拠ですら、その可能性を否定していないものがあり(乙二二)、大橋鑑定も完全に否定しているわけではない。しかし、そもそも、当初の頭部打撲がどれほどのものか定かではない上(傷が、擦過傷にとどまることからすると、強度の力が働いた可能性が大きいとはない(ママ)。)、大橋鑑定が指摘するところの、現われるはずの視神経萎縮の所見が認められないこと、VEP検査の結果から視神経に障害が存在しないと考えられることの各疑問について、これを解消するに足りる証拠もない。

したがって、外傷によって黄斑部変性が生じたこと、外傷性視神経症が生じたことのいずれも、これを認めるに足りないというべきである。

なお、原告には、本件事故以前から円錐角膜が生じていたことは問題がないようであり、視力低下に大きく影響しているとの意見(日通健保東京病院)が存在することからすると、既往症としての円錐角膜が視力低下の原因である可能性は相当程度あるといえる。そうすると、この既往症が存在するところに、外傷が影響した可能性も考えられないではない。しかし、大橋鑑定は、原告が、視力低下を生じたとして眼科への通院を始めるまで二か月を経過していること、外傷によって急性水腫が生じるところ、この視力低下は二か月以内に消失するのにそれが継続していることに疑問を提示しており、この疑問を解消するに足りる証拠はない。

そうすると、円錐角膜に外傷が影響を与えて視力低下が生じたと認めるにも足りない。

以上によれば、本件事故と視力低下との間に相当因果関係を認めるに足りない。

(二) 平衡機能障害について

二1(一)に認定した事実によれば、原告に平衡機能障害が存在していることは問題がない。そして、広尾病院耳鼻咽喉科は、これを外傷性中枢性前庭系の障害であるとしているが、その主たる根拠は、〈1〉頭部外傷があり、その後、自覚的に平衡障害が続いていること、〈2〉中枢性の器質的疾患を裏付ける自発性の振子様眼振が見られること、〈3〉平成二年八月八日の山口病院での頭部CT検査で、脳浮腫などの気質的な病変が認められたこと、〈4〉広尾病院での頭部CTやMRI検査で、他の中枢疾患が認められるような異常所見はなかったことに要約できる(甲五五、証人安部治彦、広尾病院に対する調査嘱託の結果)。

しかし、暁鑑定が指摘するように、器質的損傷であるというのに〈2〉の振子様眼振が本件事故後一年以上経過して発生していること、当初は一定方向性の眼振であったり、視覚が眼振を抑制する機能があったりなかったりし、必ずしも一貫していないこと、また、榊鑑定がてんかんに関連して指摘するように、山口病院での頭部CT検査で脳室の縮小があるとはいえないこと(山口病院の山口医師自身が、頭部CT検査に異常はなかったと説明していることを窺わせる証拠〔乙三二〕すらある。)の各疑問は、看過することはできない。そして、この疑問を解消するに足りる証拠はない上(甲三九によれば、広尾病院神経科の構木睦男医師は、眼振は確実な外傷性変化であるとの意見を有するが、その根拠は明らかでない。)、広尾病院の前記診断においては、山口病院の頭部CT写真を自ら判断することなく、山口病院のカルテの記載をそのまま採用していること(証人安部治彦)からすると、広尾病院耳鼻咽喉科の診断を直ちに採用するには躊躇を覚えざるを得ない。むしろ、本件事故が誘発した心因反応である可能性が高いとの暁鑑定は、その内容が、広尾病院での診断に対する右の各疑問にも一応の回答を与えるものであることに加え、原告がそれまでに不安神経症の診断を受けていたことなどの事情をも併せて考えると、採用できるというべきである。

したがって、原告の平衡機能障害は、本件事故による不安神経症によるとの意味で、本件事故と相当因果関係がある。

(三) 外傷性てんかんについて

(1) 発作の有無について

てんかんか否かはともかく、小発作が認められることについては、榊鑑定も疑問を呈しておらず、特に問題はない。しかし、大発作(後遺障害診断にいう全身性強直間代性けいれん)については、榊鑑定が指摘するように、そのような発作が生じながら、病院に搬送すらされていないのは不自然であり、まして、一日七回も発作が生じたことがあるのであればなおさらである。

したがって、小発作はともかく、大発作が生じたことについては、これを認めるに足りない。

(2) 発作の原因について

広尾病院において、外傷性てんかんと診断された根拠は、概ね〈1〉山口病院のCT検査で脳浮腫が認められており、頭部外傷の激しさを示すものといえること、〈2〉原告に、当部外傷の場合にしばしば合併する記憶障害として、二か月間の記憶障害が認められたこと、〈3〉事故後、頭部外傷等の器質性の意識障害でしばしば見られる幻視優位の幻覚が見られること、〈4〉外傷後に右視力の極端な低下、右優位の聴力障害、注視眼振など頭部外傷後に残存する神経症状と思われる症状が見られることにまとめられる(甲五五、広尾病院に対する調査嘱託の結果)。

しかし、〈1〉の山口病院のCT検査で脳浮腫が認められることについて疑問があり、それを解消するに足りる証拠がないことはすでに検討したとおりであるし、〈2〉の二か月間の記憶障害についても、原告の医師に対する申告は、二時間、一日、二週間、二か月といった具合に、転院するに従って次第に長くなっており、それを当然の前提にすることには疑問がある。〈3〉については、その事実を認めるに足りないことは、二1(二)で検討したとおりであり、〈4〉のうち、右視力低下の原因は、円錐角膜による可能性が高いこと、眼振については不安神経症によるものと思われることは、既に検討したとおりである。

このように、外傷性てんかんとする根拠の大半に疑問がある上(これは、客観的証拠に必ずしも合致しない原告の問診内容に依拠していることによる。)、脳波検査に異常がないこと、画像診断においても外傷による病変の存在が認められないことを総合すると、榊鑑定が指摘したとおり、外傷性てんかんである可能性は低いといわざるを得ない(榊鑑定は、さらに、外傷性のてんかんはけいれん発作を伴った大発作が大半であることも根拠に加えており、この点についても、これを覆すに足りる原告の立証はない。)。

もっとも、榊鑑定も、クロナゼパムの投与が効果を示したことから、てんかんの小発作の一型である可能性を否定していないが、クロナゼパムの投与に効果がある点は平衡機能障害においても共通する点であり、先に検討したとおり、原告に平衡機能障害が残存すること、小発作の内容が、気がついていたらしゃがんでいたといった内容であることを併せて考えると、これも、むしろ、平衡機能障害に関連した発作であると判断するのが相当である(榊鑑定もこの可能性を指摘している。)。

以上によれば、本件事故と相当因果関係のある後遺障害としての外傷性てんかんを認めるには足りないというべきである。

(四) 後遺障害の程度について

(1) 以上検討したところによれば、原告には、本件事故に基づく後遺障害として、心因反応による平衡機能障害(小発作もこれに含まれる可能性はある。)が残存しているというべきであるが、その内容は、耳鳴り、難聴、まっすぐ歩くことができない、失立発作など深刻であり、東京都からは身体障害者五級の認定を受けている。他方、器質的損傷が認められないことからすると、将来的に改善可能性も否定できないが、事故後の経過に照らすと、当面は、それも容易には期待しにくいといわざるを得ない。原告は、薬剤で症状を押さえている状況にあり、事故後まもなく商考を退職し、平成五年八月二三日からは生活保護の支給を受けている(甲五四、原告本人)。

このような事情に照らすと、薬剤投与によって労働することは不可能とは思われないが、現実に、ある程度就労内容が制限されることは否定できず、原告に残存した後遺障害は、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当ないし準ずるというべきである。そして、器質的損傷に基づく障害とはいえないこと、事故後現在まで経過した期間、原告の現在の状況などの事情を総合すると、原告は、症状固定時である三六歳から五六歳まで二〇年間にわたり一四パーセントの労働能力を喪失したと判断するが相当である。

なお、暁鑑定の後遺障害一四級の意見は、最も軽い後遺障害の程度にしたという程度の理由によるものであるから(証人暁清文〔書面〕)、特に、右の認定の妨げにはならない。医師鈴木庸夫の意見書(乙一〇)も、暁鑑定と同様の意見であるが、同じ理由で右認定の妨げにならない。

(2) もっとも、本件事故の態様、豊島中央病院及び愛誠病院での診断内容に照らすと、本件事故による衝撃及び負傷の程度が、先に認定したような心因反応を引き起こすものとは考えにくく、これは、原告の性格的あるいは精神的要因が影響していると考えざるを得ず(乙一〇)、本件事故の程度、症状固定時までの期間、残存した後遺障害の程度等の事情に照らすと、そうした要因が二〇パーセントは寄与したものと認めるのが相当である。

したがって、損害の公平な分担の見地からは、民法七二二条を類推適用して、原告の損害額から二〇パーセントを減ずるのが相当である。

二  損害額

1  治療費(請求額三五万一七九〇円) 四二万四二九〇円

原告は、豊島中央病院及び山口病院の各治療費として、合計四二万四二九〇円を負担した(甲三〇、乙三の二)。その他の病院の治療費については、これを認めるに足りる証拠がない。

後記過失相殺及び寄与度減額の関係で、請求額以上の認定をした。

2  休業損害(請求額一四八〇万三一五二円) 一四一四万六六〇二円

証拠(甲一九、四四~四七、原告本人)によれば、原告は、昭和五三年四月に中央大学法学部通信教育課程を中退し、アルバイトで写植の校正業務等に従事した後、昭和五四年六月、就職して写植業務に従事するようになったこと、その後、独立自営を目指し、転職しながらも写植業務を続け、平成元年一〇月から平成二年六月までは、写植、版下、トレース・デザインを扱う株式会社商考の制作部長として、写植業務に携わってきたこと、商考では、本件事故直前の三か月間(平成二年三月ないし五月)で一〇五万二九一八円の収入(年間に換算すると、少なくとも四二一万一六七二円)を得ていたことが認められる。

この認定事実と、原告の症状の内容及び経過、通院の経過及び頻度を併せて考えると、本件事故の翌日である平成二年六月八日から症状が固定した平成五年一〇月一五日までの一二二六日間は一〇〇パーセントの割合で労働能力に制限を受けたということができる。

したがって、これらの事実を前提に休業損害を算出すると一四一四万六六〇二円(一円未満切捨)となる。

4,211,672×1226/365=14,146,602

これに対し、原告は、本件事故の前年である平成元年に年間四八五万三三五〇円の収入を得ていたとして、事故に遭わなければ、年間にしてこの収入を得ることができたと主張する。

たしかに、原告が、平成元年に年間四八五万三三五〇円の収入を得ていたことは認められる(甲二〇)。しかし、商考に入社したのは平成元年一〇月であるから、平成元年の収入は商考以外で得た収入がその大半を占める。また、本件全証拠によっても、原告が、本件事故当時、商考を退職することが決まっていたことは窺われないから、本件事故直後からの消極損害である休業損害の基礎収入としては、商考での収入を基礎とせざるを得ず、本件事故直前三か月の収入に照らすと、商考において、その四倍の額を上回る収入を得ることができたと認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告の主張は理由がない。

3  逸失利益(請求額八九四〇万三五六〇円) 八四六万七六七八円

既に認定したとおり、原告は、本件事故当時、商考において、少なくとも年間四二一万一六七二円の収入を得ていたが、その当時は、商考に入社してまだ約八か月ほどしか経過しておらず、今後の増額可能性は小さいとはいえなかったこと、原告は、独立自営を目指してそれまでにも転職をしてきたこと、現実に、本件事故の前年には年間四八五万三三五〇円の収入を得ていたこと、労働能力喪失期間が事故当時からはある程度長期間であることからすると、勤務先や収入の状況について、休業損害における基礎収入よりはある程度変動可能性を考慮せざるを得ないこと、症状固定時(当時三六歳)である平成五年賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の三五歳から三九歳の平均賃金が五八〇万六七〇〇円であること(当裁判所に顕著な事実)を総合すると、原告は、症状固定時の三六歳から五六歳までの二〇年間であれば、少なくとも、平均して年間四八五万三三五〇円の収入を得ることができたものと推認するのが相当である。

すでに検討したとおり、原告は、右の期間において、後遺障害により、一四パーセントの労働能力を喪失したというべきであるから、年間四八五万三三五〇円を基礎収入として、ライプニッツ方式(係数一二・四六二二)により中間利息を控除して症状固定時の逸失利益の現価を算出すると、八四六万七六七八円となる。

4,853,350×0.14×12.4622=8,467,678

4  慰謝料(請求額二七〇〇万円) 五〇〇万円

本件事故の態様、傷害の程度、原告の入通院の期間、通院頻度、原告に残存した後遺障害の内容及び程度などの諸事情を考慮すると、原告の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては五〇〇万円を相当と認める。

5  寄与度減額、損害のてん補

1ないし4の損害合計額は二八〇三万八五七〇円であるから、この合計額について、原告の過失割合三〇パーセント、心因的要因の寄与分二〇パーセントを減額すると一五七〇万一五九九円(一円未満切捨)となる。この金額から、原告が支払を受けた三七一万八六二五円を控除すると、原告の損害額の残金は一一九八万二九七四円となる。

6  弁護士費用(請求額六〇〇万円) 一五〇万円

原告は本件損害賠償請求事件の追行を原告訴訟代理人に委任したもので(争いがない)、本件認容額、審理の内容及び経過等に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、一五〇万円を認めるが相当である。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、本件事故に基づく損害賠償として一三四八万二九七四円とこれに対する平成二年六月七日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を認める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例